大人のためのパフォーマンスがない学校なら子どもを通わせたい

コロナでオンライン授業がはじまり(ということになり)ようやく日本でも学ぶ場の自由が認識されつつあると期待しています。

私が自分の子どもを日本の一条校に通わせたくない理由は、

「大人(教師や保護者)の利益のために子どもの時間と心が無駄に使われすぎているから」

保護者に見せるための精度を求めて運動会、学芸会、卒業式の「練習」を行い、その練習で教師が指示を通しやすくするために子どもに「指導(という業務の支配と恫喝)」を行う。

そんなの、子どもは楽しくありません。

子どもの人生に有益な教育ではありません。

子どもの時間と労力を使い、心を踏みにじってする価値はありません。

教員の拘束時間もそんなことより、習熟別授業や教材作りに使ってほしい。

 

本の学校は無駄が多すぎ。

その無駄に子供も教員も疲弊している。

大多数の親がわかりやすい「教育成果の確認の場」を求める自らの不安を「伝統」「思い出作り」という実態のない情緒で誤魔化して教員に責任転嫁し、果ては「参加しないと内申に響く」と評価対象にする本末転倒。

 

世界で日本より短時間で働き高収入を得ている国の人たちの殆どは上に書いた無駄に人生を使っていない。

子どもを効率悪く働き低収入に甘んじることに疑問を持たない「教育」の施される一条校に、大事な我が子の時間を費やしたいとは思いません。

 

純粋に勉強と子どもの交流だけが行われる場なら、税金払って国民の権利として手出し少なく使える社会資源として通わせたい。