いきなり不妊治療デビュー

ピンクゼリー1回分をシリンジとテーパーカテーテルと一緒にもらい、その日の夜のうちに性交して、翌日受診して排卵を促す注射を打ってみる。

 

と言うのをなんとなく受診した当日にすることになりました。

自分でも更に子どもがほしいのか曖昧なまま、月経周期による不調の波が大きくて妊娠より更年期障害の受診になるのではないかと思っていたので、卵胞チェックを受けて今晩夫婦生活もって明日来てね、と言われてびっくり。

 

この1年は月経の量が減ってきて、そもそも排卵していないのではないかとすら思っていました。

 

病院にいったくらいだから無意識には女の子がほしいんだろうと思い、挑戦してみることにしました。

 

あわせて子宮頸がん検診とクラジミアなどの検査をして8000円くらいでした。

 

夜に夫が寝落ちしたところを起こして頑張ってもらい、でもゼリーは奥深くに入れたつもりがだいぶんこぼれてしまった気がしました。

見ている世界が違う

今日は子供の英検でした。付添うか悩みましたが、マークシートの名前欄などを書き間違えては困ると思い、また勉強量が足りなかったので、試験開始の直前まで勉強させるつもりでついていきました。(和暦での生年月日を書き間違えており、チェックしてよかったです!汗)

 

会場には久しぶりに会う子どものお友達のお母さんがいらして、互いの近況を話しました。お友達は中学受験をして推薦合格されたとのこと。別のお友達も一般受験で進学コースに合格されたそうです。双方とも社会的経済的に成功されたお家で、成功家庭の親御さんが我が子に望む教育、人生など、見る世界は、私の知るそれとは全く違うと痛感しました。親として子どもにできる事は、子どもだけではたどり着けない世界を見せること、必要ならばそのルートのガイドを示すこと、そして多くのルートに進みやすいように資金を潤沢に用意すること(稼ぎ出すこと)だと痛感しました。

 

先だって、地域の公立中学校に通う親御さんと地元高校進学のために必要とされる内申点制度について話をしていました。それは我が子の直近の進路に役立つ内容ではありましたが、社会的経済的な成功を目的とするには、低レベルの内容でした。ピラミッドの底辺ではいずり回るイメージです。我身(我が子)の立位置を知り、情報を知ることは大事だけれども、低い世界にばかりとらわれるばかりで上を見失うことがあってはいけないと思いました。

生家アレルギー

生家から送られた荷物を仕分けしているときに鼻水が出てアレルギー反応覿面でした。

今日、生家からの清掃未処理の本を積んでいたのを積みなおすのに3分ほど触ったら、鼻水、頭痛、喉の痛み、せき、全身の痒みが発生。

本を触っただけなのに、痒みと頭痛と息苦しさと咳で寝込むって、どんだけ生家が汚いのだろう。

この先一生生家に行く気はないが、万一あっても、急性アレルギー症状が出るから近寄れない。

大人のためのパフォーマンスがない学校なら子どもを通わせたい

コロナでオンライン授業がはじまり(ということになり)ようやく日本でも学ぶ場の自由が認識されつつあると期待しています。

私が自分の子どもを日本の一条校に通わせたくない理由は、

「大人(教師や保護者)の利益のために子どもの時間と心が無駄に使われすぎているから」

保護者に見せるための精度を求めて運動会、学芸会、卒業式の「練習」を行い、その練習で教師が指示を通しやすくするために子どもに「指導(という業務の支配と恫喝)」を行う。

そんなの、子どもは楽しくありません。

子どもの人生に有益な教育ではありません。

子どもの時間と労力を使い、心を踏みにじってする価値はありません。

教員の拘束時間もそんなことより、習熟別授業や教材作りに使ってほしい。

 

本の学校は無駄が多すぎ。

その無駄に子供も教員も疲弊している。

大多数の親がわかりやすい「教育成果の確認の場」を求める自らの不安を「伝統」「思い出作り」という実態のない情緒で誤魔化して教員に責任転嫁し、果ては「参加しないと内申に響く」と評価対象にする本末転倒。

 

世界で日本より短時間で働き高収入を得ている国の人たちの殆どは上に書いた無駄に人生を使っていない。

子どもを効率悪く働き低収入に甘んじることに疑問を持たない「教育」の施される一条校に、大事な我が子の時間を費やしたいとは思いません。

 

純粋に勉強と子どもの交流だけが行われる場なら、税金払って国民の権利として手出し少なく使える社会資源として通わせたい。